経王寺について
お経について

写真七妙法蓮華経如来寿量品第十六の解説 『第16章 仏の命の長さについて』

多くの人は、お釈迦さまという人はインドの王様の子供として生まれ、のちに出家し修行し悟りを得て、仏になったと思っていますが、実はそうではなかったのです。お釈迦さまは永遠の命を持っていて、王様の子供として生まれるはるか以前の遠い過去世から、悟りを得た仏として、真理の教えを人々に説き続けてきました。 如来寿量品第十六では、なぜお釈迦さまが永遠の命を持って人々を救い導くのかが説かれています。このお経は偈文になっていて、出だしが「自我得仏来」の句ではじまるので『自我偈』とも呼ばれ、日蓮宗では法華経の中で最も大切な教えとしています。色した七福神像と箱型の宝船を、参詣者に授与しています。

自我得仏来 所経諸劫数 無量百千萬 億載阿僧祇
常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫

「私が悟りを得て仏になったのは30年や40年前の話ではなく、仏になってから今日まで、計り知れないほどの長い時間が経過している。その間、私はつねに教えを説いて、数え切れないほどの人々を仏の道に導いてきた。その行いは昨日今日はじめたことではなく、あなた達が想像もできないほど遠い昔から行っていたのだ。」

為度衆生故 方便現涅槃 而實不滅度 常住此説法
我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見

「私は、苦しんでいるすべての人々を救うために、あの手この手を用いて人々を導いてきた。その中のひとつにはインドの王様の子供として生まれ、悟りを開いて仏となり、やがて寿命が尽きて死を迎え、この世から去ってしまったかのように見せたこともある。しかし、私は死んで消滅してしまったわけではなく、常にこの世に留まって苦しみから救われる法を説きつづけているのだ。私は、死んで滅することは決してなく、永遠にこの世にいて皆のそばにいつもいるというのに、この世の多くの人達は心が悪の煩悩に侵されて、自己中心的な生き方をしているので、すぐ近くにいる仏の姿を見ることもできず、耳元でささやく法を聞くこともできない。そのため、ますます悪の煩悩に心を惑わされて苦しんでいる。」

衆見我滅度 廣供養舎利 げん皆懐恋慕 而生渇仰心
衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命

偉大さを実感するだろう。それと同じように、私が死ぬ ことによって、煩悩にどっぷりと浸かって生きていた人たちは、はじめて目を覚まし、仏に対して恋慕の心を抱いて、もう一度仏に会いたい、仏の教えを聞きた いという清らかな心が生じる。やがて仏の遺骨を供養しながら、仏が生きているときに説いていた教えを少しずつ学んで、信じていくようになる。次第に煩悩が なくなっていき心が素直になり、仏にもう一度会えるならば、余分なものは何一つ要らない、この自分の命さえも投げ出しても、仏に会いたい、仏の教えを聞き たいという気持ちになってくる。」

時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅
以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者

「皆がそのような気持ちになったときにこそ、私は弟子 と共にこの世に姿をあらわすだろう。そして、『私はいつもこの世にいて決して他の世界に行ったりせず、皆の心の中にいるのだ。しかし、時には生きることや 死ぬことを考えてもらうために、巧みな方法で私自身の死を見せたり、不滅であることを見せたりすることもある。もしもこの娑婆以外の国で、仏を信じて真実 の悟りを聞きたいというものがいたとするなら、私はその国に行って、彼らに最高の教えを説くだろう。』と、語るだろう。」

我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰

「それなのに、この世の人たちは、私の言葉を聞くこと もしないで、ただ私が死んでしまった、いなくなってしまったとだけ思いこんでいる。本当はいつでも人々の心の中にいるというのにそのことにも気がつかない ほどなのだ。なぜ、気が付かないのかというと、人々は苦しみの海の中で溺れているからなのだ。だから、私はあえて姿を現さず、仏に会いたい。法を聞きた い。そして苦しみの海から抜け出したい。という気持ちが起きるのをまっているのだ。」

因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫
常在霊鷲山 及余諸住処

「もしあなたが煩悩の眠りから目が覚めて、仏に会いた い、救ってもらいたい、という気持ちになったなら、私はあなた達の前に姿を現して教えを説くだろう。仏の不思議な力というのはこのことなのだ。このような 神通力を持って、私ははるか遠い昔からこの娑婆世界や心の底から仏の教えを求める人の所で救いの教えを説いているのだ。」

衆生見劫盡 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満
園林諸堂閣 種種寶荘厳 寶樹多花果 衆生所遊楽
諸天撃天鼓 常作衆伎楽 雨曼陀羅華 散仏及大衆

「例えばこの世が終末を迎え、全世界が大火に焼き尽く されて、何もかもがなくなってしまっても、それは物質がなくなってしまっただけで仏の目から見れば、この世は天の神々やすばらしい人間達で満ち溢れてい る。そこには美しい花園や木々があって、宝石で飾られた建物があり、宝石のような花や果実をつけた木々が立ち並び、穏やかな日溜りの中で天の神々や心安ら かな人たちが音楽を奏でている。空からは曼陀羅花という美しい白い花が花が仏や悟りを求める人たちの上に降り注いでいる。これが、仏の教えによって心の清 くなった者の世界である。たとえ自分の周りの世界が変化しても、心の中の仏の世界は安穏なのである。悟りを得た人たちの心の中は常にこんなに美しいのであ る。」

我浄土不毀 而衆見焼盡 憂怖諸苦悩 如是悉充満
是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名

「それなのに煩悩に心を侵され苦しみ迷える人たちに とって、この世はさまざまな苦悩や、今にも業火に焼き尽くされそうになる恐怖、そんなものが満ち溢れている世界にしか見えない。煩悩によって悪い行いを積 み重ねた罪深き人たちは、どんなに長い時間がたっても仏と、仏の教えと、それを伝える良き僧の名前すら聞くことができないほど、救いの教えとの縁がなく生 きている。」

諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身 在此而説法
或時為此衆 説仏寿無量 久乃見仏者 為説仏難値

「それに対して善い行いをして功徳を積んで、仏の教えを素直に聞いて実行している人たちは、自分の目の前で仏が教えを説いているのをはっきりと見ることができるのである。
このように一心に仏の教えを求める人々に対しては『仏の命は限りない』と説き、また長い時間かけてやっと仏に会えた人には『仏に会うことはきわめて難しく だから尊いのだ』と説き示す。仏の命は永遠であるけれども、その教えに会うことはそう簡単なことではない。だから、仏とご縁があったときには、そのご縁を 大切にして一生懸命教えを学んで行くことが大切なのである。」

我智力如是 慧光照無量 寿命無数劫 久修業所得
汝等有智者 勿於此生疑 當断令永盡 仏語實不虚

「私の寿命は遠い過去世からはるか未来世にいたるまで 永遠に存在し、あらゆる世界でその智慧を働かせ、その智慧の光ですべての世界、すべての者を照らしだし、仏の力をもって救われないものはない。そのような 仏の寿命は遠い昔から善い行いをして、世を救い、人々を救い、そうやって功徳を積み重ねてきた結果なのだ。その、同じ智慧をあなたたちも持っているのだ よ。だから、決してあきらめたり、疑ったりしてはいけない。仏の言葉はまさに真実であり、決して嘘偽りのないものである。だからこのことを信じて一心に仏 道修行に励みなさい。」

如醫善方便 為治狂子故 實在而言死 無能説虚妄
我亦為世父 救諸苦患者 為凡夫顛倒 實在而言滅

「こんな例え話がある。とても勝れた医者の子供が、間 違って毒を飲んでしまい、心狂わんばかりに苦しんでいて、医者である父の調合した解毒剤を飲もうとしなかった。そこで父は子供を救うために、生きているに もかかわらず、使いの者に「あなたの父は遠い旅の途中で死んでしまった」と子供達に伝えた。それを聞いた子供達は父親を思うがゆえに正気に戻り、解毒剤を 飲んで助かることができた。そのとき、この医者である父の言葉を誰が嘘だと非難できようか。それと同じように、私もこの世の人々の父親であり、多くの方便 を持って苦しみ悩む人たちを救い導くのものなのだ。心を煩悩に侵されたものたちは、善と悪とを見間違え、正と不正との区別がつかず煩悩の病に侵され、正し い心を失ってしまっている。そこで、私は永遠に生き続けているのだけれど、死という方法によって、仏もこの世を去っていなくなるということを人々に教え、 人々を正気に戻そうとした。」

以常見我故 而生?恣心 放逸著五欲 堕於悪道中
我常知衆生 行道不行道 隨應所可度 為説種種法

「この世の多くの人たちはいつでも私がそばにいて、い つでも会えると安心していて、困ったことがあったら簡単に私が救ってくれると思いこんでいる。そのため、だんだんとわがままになって驕りたかぶり、怠け心 を起こし欲望に心を奪われてしまい、ますます真心を持って悟りの道を求めようという気持ちがなくなり、悪い道に落ち込んで苦しむことになる。私はいつも、 どうしたらそのような人々を仏と同じ境地である悟りの世界に至らしめ、苦しみから救うことができるのだろうかということを考えて、一人一人、その人にふさ わしい方法で苦しみから救う道を示すために、さまざまな教えを説いている。」

毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身
「私は自分で誓いを立てて実行しているのだよ。その誓 いとは『いついかなる場所においても、すべての人をこの上なき最高の仏の道に入らしめて、しかも速やかに仏の悟りに到達して、仏と同じ体と心を持つことが できますように』と願っている。これが仏であり、この世の者たちの父であり、真実の悟りをもった私、釈迦牟尼世尊の限りなき誓願である。

そして何よりも勝れたこの法は、愛するわが子を救う為の教えなのだ」

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